SUPER BEAVER

 

あなたへ

 

 出会いの種類は様々ありますが、その9割は偶発的なものだと思っております。あなたがたまたま同じクラスになった彼とも、意図せず同じ職場になった彼女とも、パンを咥えて走る遅刻しそうな朝に曲がり角でぶつかった二人も、そう。
当人の意思さえ介入できないまま、半ば強制的に、誰の采配かもわからぬまま突然訪れるその偶発的な出会いは些か強引に思えます。しかし、想像もし得なかったそれには同等の、もしくはそれ以上の可能性が孕まれていると、そう思うのです。
 運命の出会いなんてない。突然失礼、こちら持論です。出会った瞬間に全て決定付けられるものなどきっと存在しなくて、運命の出会いだった、と言える人との関係性は、自らが構築してきた軌跡の形だと、そういう意図の持論です。
 でも。出会いそのものは奇跡と呼んでもバチは当たらないかと。
 ドラマ「僕らは奇跡でできている」という作品に、我々は主題歌という形で携わる事ができました。そのおかげで新たな出会いa.k.a.奇跡が生まれる予感がしています。そもそも主題歌のお話を頂けたのも、出会えたから、顔と顔突き合わせて話す事ができたから、共感する事ができたから、その温かい軌跡の上で握手をする事ができたから。インディーズバンドの我々を、いわゆるゴールデンと言われる時間帯で起用するというのは発想は元来ぶっ飛んでおります。それなのに、気持ちだけで実現させてしまうこのドラマチームの意志と行動力には、心から脱帽させられました。大感謝です。そんな人と人、血の通った体温のあるこの機会に、あなたと出会えたならば大事にしたいと。運命という言葉で簡単に片付けられない様に自分たちで構築したいと、そう思いました。
 という事で、「僕らは奇跡でできている」と連動させて勝手に企画を考えました。このドラマを機に知ってくれたあなたに、そしてもちろん以前からから我々を知ってくれているあなたにも。我々がどんなバンドであるか知ってくれたらあなたにもっと近づけるんじゃアないかと、そう考えたわけでございます。題して。

『僕らは”軌跡”でできている』

 

 お、どうだ。ギリギリセーフか。怒られるか。どっちだ。

 すなわち毎週少しずつ、自己紹介よろしく、我々のこれまでを知ってくれたらなアと、そう思った次第。

 高校生の時分に結成した我々がどういった経緯でバンドを始める事になったのか、痛く苦すぎた初ライブ、確固たる自我が芽生えた某大会、若すぎたメジャーデビュー、弱すぎた結果のメジャー転落、借金して購入した機材車で回った四人だけのツアー、長かったアルバイト生活、まさかのタイミングでのメンバーの急病、大きくなっていく会場、辿り着いた日本武道館単独公演。

 14年目のインディーズバンド、SUPER BEAVER。紆余曲折、山あり谷あり、七転八倒の歩みを、我々の意志を、共有できたら最高に嬉しいし楽しいだろうなアと、そう思いました。

 奇跡の先にあるあなたとの軌跡を、と。楽しい予感のする方へ筆を取らせていただいた次第。

 どうぞひとつ、よろしくお願い致します。

 

SUPER BEAVERフロントマン、渋谷龍太より

 

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〜結成〜

 

 それは晴れていたような気もするし、曇っていたような気もする。雨だったのではないかと問われれば、そうだったかもしれないと、きっと答えるだろう。
その日の朝食、ごはんをよそったお茶碗が真ん中からパカッと割れることもなければ、玄関で足を突っ込んだスニーカーの靴ひもがブツッと切れるといったような虫の知らせのようなこともなかった。
即ち、いつもの、なんでもない一日だったとそう記憶している。何もないことが退屈であり、何もないことが平和だった、いつもの毎日の、その中の一日。

 定時に家を出た私は特別急ぐわけでもなく、山手線と東横線を乗り継ぎ、定時から少し遅れて学校に到着。一限目と二限目を家の布団から引きずってきた眠気に身を任せウトウトと過ごし、ようやく覚醒し始めた三限目から身を投じた机の下の文庫本の世界は、途切れることなく昼休みまで続いた。
そのいつもの昼休みに、バンドやるんだけどちょっと歌ってみない?と突然声を掛けてきたのが、同じクラスの上杉研太であった。
「え、なんて?」
「バンドやるんだけど、ちょっと歌ってみない?」
全く概要が読めない。確かに音楽は小さな頃から好きだった。家では幼い頃からディープパープルや、レッドツェッペリン、ブラックサバスが流れており、大体の曲のギターソロは鼻歌で再現出来た。音楽に雷的な衝撃を受けたのはロックと呼ばれる音楽ではなく、オフコースの絹の様な歌であった。なんだよこの優しい歌は!と小学生で雷に打たれた私は、中学生ではglobe とジャミロクワイにハマり、高校に入学してからは専ら日本のハードコアパンク、usパンク、と様々な音楽を貪欲に聴き漁っていたのだが、まさか自分がやる立場になるなんてことは、露ほども思っていなかった。
「ん、あアと」
言い淀みながら、なんで俺なの?と首をかしげながら、上杉の真意を図ろうとした。そもそも上杉とは、同じクラスってだけで、普段一緒に遊んだり、テスト勉強したりするような仲ではなかった。朝挨拶したり、休み時間にちょっと喋ったり、帰るタイミングがたまたま合えばなんとなく一緒に帰ったりする程度の間柄であったから、解せないそれにかしげた首は一八〇度手前まで傾いていた。ほぼ上下逆さまの世界で、上杉からの次の言葉を待ったが、彼は飄々と淡々と、私に言った。
「どう?やる?」
雑だネ! しかしながらこれ以上悩んだり、もじもじしたりするよりも、会話のテンポを鑑みるに、yes と答えた方が良いリズムだと考えた私は、文庫本の世界にスピンを噛ませ、やるウ、となんとなく言ってしまった。
まア、つまるところ、これが始まり。まさかこの時の、ちょっと歌ってみないが、今現在に至るまで、すなわち約14年を指すものになるなんて考えてもみなかった。
あっけなくもあり、単純でもあり、必要以上のドラマを孕んでいないそんな物事から、意外と大切なものって始まっている気がする。とりあえず、納得するより先に、会話のテンポを重視して手を伸ばした私に、この今がある。
いつもの毎日の、その中の一日に、いつも通り昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。

 軽率な返事をした翌日、なんだか冷静になった私は、概要も何も知らぬままは流石にハイリスクであると思い、その昼休みに、詳しいことを上杉に訊いてみることにした。
これから始動しようとしているそのバンドは、バンド名すら決まっておらず、私が加わることにより、メンバーがようやく揃ったところ。オンユアマークがコールされたあたりかな。
驚くべきことにギターを担当するのは、一つ下の後輩らしい。同い年でもギターを弾ける奴はごまんといるのに、何故にわざわざ後輩なのだと尋ねれば、なにやら軽音部の中でも群を抜いてうまいらしい。自分で曲を作ったりもしているらしく、すげエんだ、と言う。ほうほう、そんな奴いるんだ、と頷く私に、今日の放課後紹介するよ、と上杉。キリの良いところで昼休み終了のチャイム。
「柳沢亮太といいます、よろしくお願いします」
あア、言われりゃ見たことあるな。本を読んでいる間に迎えた放課後。各々が部活やアルバイト、渋谷の街や、自宅へ向かう波に飲まれぬ様に我々は廊下の端の冷水機の横。厳かに初めまして、の儀が執り行われている。主宰上杉の横に立つ、この柳沢某がギターを担当するようだ。ん、よろしくネ。
「これからバンドメンバーになるわけだから、先輩後輩っていうの、気にしないでいいよ」
器の大きさを見せた上杉、その横でお腹が空いている私、目の前であたふたする柳沢某。
「そんな、いきなりは無理っすよ」
結果的に全然無理ではなかった。現在、先輩後輩をたまに気にしてほしいと思う程に生意気である。

 

 お次はドラム。柳沢の幼馴染に良いドラム叩く奴がいるという。柳沢と出会ってから二日後か三日後、彼らの地元で、初めまして、の儀が再び執り行われた。
「やなぎの幼馴染です、藤原です」そう口にしたのは髭を蓄えたおじさんであった。「17歳です」
おじさんは冗談を言っている様だ。私は気を使って軽く笑って見せたが、間が持たなかったので駅の近くのスタジオに入ってみることにした。
年の功か、上手であった。
「幼稚園からの幼馴染なんですよ、こいつ」
柳沢は藤原の演奏を見ながら冗談を言った。つまらなかったので無視をしたが、このおじさんがドラムをうまく叩けるということは間違いない。
「音、合せてみましょうか」
誰が言ったか覚えてはいないが、初めて音を合わせた時の感動は覚えている。
少し前にコールされたオンユアマークから、明確なスタートの合図は聞こえなかったが、我々は勝手に走り出していた。誰かが鳴らすスタートの合図は、自らが耳にした時には既にコンマ何秒か遅れているのだ。誰かに鳴らされる前に、勝手に走るに限る。

 

 こうして集まった四人である。なんとなく集まった四人。
その四人がメンバーチェンジをすることなく現在も音楽を続けていることは言わば奇跡的なことなのだろう。ただこの奇跡は、四人だけではまるで成り立たたない類のもので、多くの温かい気持ちの上に成り立たせてもらっている。
いつからをこのバンドの軌跡と呼んだらいいのか。もっともっと前、四人が出会う前からそれが始まっていることは間違いないのだが、とりあえず、四人が出会ったそこから、記していきたいとそう思った次第。

 

 ちなみにバンド名であるが、深い意味はない。深くはない意味ならある様な言い方をしてしまったが、深くない意味すらない。
どういう経緯で残ったのかさえ曖昧な『SUPER BEAVER』と『画鋲』という最終選考に残った二択。かろうじて選ばれたのが『SUPER BEAVER』だったと、そんな感じ。
今では気取ってなくて、なかなか気に入っているバンド名ではあるが、『画鋲』でも悪くなかった、と思う今日この頃。

 

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~初ライブ~

 

 他愛のない日常に、バンドをやるという刺激的なエッセンスを一滴加えまして、それを若さというまな板の上に乗せ、ラップを掛けた状態で幾晩か寝かせてみますと、あら不思議。元と然程変わりのない毎日の出来上がり。召し上がれ。

 慣れ、慢心はいつ何時でも。油断したとかそういう自負なんてなくたって関係なしにやってくる。やってくるというか、いつの間にかそこに在る。

 日々の生活はかき混ぜなければ腐っちゃう糠床よろしく、何かの折に気に掛けたり、あるいは意識し直したりということが大切であり、すなわち、今日のこの場合「ライブをしてみましょう」と柳沢が言ったその一言が、SUPER BEAVERという名前の糠床をかき混ぜたことになる。

「糠床をかき混ぜたな、そういうことだな」

 はて? という顔で三人が私のことを見ている。気まずくなる前に柳沢が口を開いてくれた。

「友達に誘われたんです。企画するライブがあるんだけど出てみない? って。どうかな」

 敬語とそうでない言葉をうまく織り交ぜながら先輩との距離を差し測る柳沢がかわいい。柳沢の幼馴染と自称するおじさん、藤原”17才”広明さんとの接し方の参考にしてみようと思った。

 自由が丘の、今はもうなくなってしまった練習スタジオでの歴史的一幕。遂に初めてのステージ、私は本物のバンドマンになる。

「ロックンロール!」

 興奮が過ぎて思わず叫んだ私を、はて?という顔で三人が私のことを見ていた。こうして初ライブは決定した。

 

 初ライブ当日、渋谷駅。

 初陣は池袋のロサ会館。最寄りでない駅でわざわざ待ち合わせをして乗り込むは外回りの山手線、いざ。

 昼過ぎに人のまばらな車両の中、我々に向かって柳沢が努めて明るい声で言った。

「あのね、俺も知らなかったんだけど」

 その声色で、俺も知らなかったんだけど、から始まる話題は十中八九悪い話題だ。責任転嫁を得意とする人間が口にする常套句。痛いところを突かれない限り、しれエっと自分も被害を受けた側に回り込むことのできる妙技。

「あの、今日ね」

 私の嫌な予感が的中するまで、あと2秒。

「追悼ライブらしいです」

 我々4人の間にだけ、完璧な静寂が訪れた。

 思ったよりハードなのがきた。ストップしてしまった頭を力に任せてフル回転させ、一番初めに思い浮かんだ追悼の他に別のtsuitouはないか考えてみたが、一つもなかった。それを知ってどうなることでもないのだが、とりあえず、念の為に、訊いてみた。

「だ、誰の」

 柳沢は努めて先ほどより明るい声で応えた。ほぼ裏声だった。

「知らない人」

 池袋に到着するまでの間、誰一人として口を開かなかった。このまま池袋に着いてくれるな、という私の儚い願いは、当たり前のように叶わない。

  

 

 定時に到着、池袋駅。

 無言で歩いた我々は、とうとうライブハウスの看板の前まで来てしまった。

「大丈夫、大丈夫」

 どのつら下げてこのやろう、と裏声の柳沢を睨みつけると、顔面蒼白に笑顔が張り付いているなかなかやばい状態であったので責めなかった。

 仄暗く、カビ臭い恐怖につながる階段を我々は勇気だけを灯火に降りていった。防音仕様になっている重たい扉が見えた。大きく息を吸い込み、覚悟して扉を開けてみた。

 私が一番初めに思ったことは、どうすればこんなにもここが追悼ライブの会場です、という雰囲気を作れるのだろう、ということだった。追悼であるにしてもライブなのだから、明るくはないにしても暗すぎるということはないだろう、という淡い期待を抱いていなかったのか、と言われれば嘘になる。しかし、この雰囲気は想像を絶していた。

 フロアの数人はおしなべて下を向き、入ってきた我々には目もくれなかった。演奏すること、歌うことはもちろん、話をすることすら憚ってしまう空気であった。気まずさとか居心地の悪さとか、そんな生ぬるい言葉で言い表せるようならば、勇気や根性で打破できたであろうに。

 すると、その空気を前に茫然自失の我々に、一人が気が付いた。結果的に、フロアにいたその人が優しさから無理矢理に向けてくれた笑顔が、我々がギリギリ保ち続けていた心の芯を、修復の難しいしいところまでに粉砕する一撃になった。

 

 ワクワクドキドキの初ライブの今日は、ワクワクドキドキが不謹慎となる日であった。

 楽屋に荷物を置いた。上杉も藤原も虚空ばかり見ている。

「なア、そういえば企画に誘ってくれた友達はどの人なの?」

 私は柳沢に訊いてみた。相変わらず蒼白の顔面に張り付いた笑顔はただ怖かった。連想したのは日本人形だった。

「友達じゃなくて」

「ん?」

「友達の、友達なんです」

 他人じゃねエか、私は思った。

「他人じゃねエか」

 口にも出していた。

 

「オンタイムでスタートします」

 楽屋の扉が半分だけ開かれてスタッフさんの声だけが聞こえた。無情だ、あア無情。どんなに頑張っても時間には抗えない。一度立つと言ったステージには、立つのが男だ。しかし、初ライブでこんなのありかよ、と思ってもバチは当たるまいと思っていた。だからそう思いまくっていた。

 しかも出番はまさかのトップバッター。誰の追悼なのかもわかっていないこの日が初ライブのバンドには荷が重すぎる。追悼ライブの空気感がわからない、そもそも初めて立つステージなのでまずライブの空気感がわからない。

 落ち着く間もないまま開演時間。緩やかに落ちてゆくBGM。立たされたのは身に覚えのない窮地、いささか塩気の効きすぎた初陣に喉はカラカラだった。

 

 オンステージ、待ち受けていたのは静寂。この人たちは一体誰ですか、という視線がたっぷり注がれる。顎を撃ち抜かれるノックアウトパンチではない、ゆっくりめり込む万力の様なボディブロー。とりあえずマイクを握る。

「初めましてSUPER BEAVERと言います」

 待てど暮らせど鳴らない拍手。

「元気ですか」

 不謹慎極まりないことに気がつく。

「呼んでくれて、ありがとうございます」

 二つか三つ、待望の拍手が起こる。この時学んだことは、まばらな拍手は静寂よりダメージがでかいということだった。

「始めます」

 この一言が、情けないことにこの日の最後の記憶となった。酩酊していたわけでもあるまいに、どの様にして家に帰ったのかすら曖昧だ。バンドを始動させた少年たちにとって、それだけセンセーションな体験だったということであろう。

 

 当日のことをなに一つ覚えていないくせに、四人でオンステージした時のヒリヒリと痺れるような感じだけが身体に残っていて、二度とあんな経験はしたくないという思いにどうしてだか勝った。一人の人間がこのあと十年以上を費やすほど魅惑である。音楽をやる、バンドをやる楽しさはそう簡単に折れる類のものではないのだから至極当然の結果なのかもしれないが、当時は本当に不思議でならなかった。

 今に至るまで、オンステージのその数分間を語る上で、これに勝る過酷さは未だにない。それを一発目に経験できたで我々はおかげで幾ばくかタフになれたのかもしれない。

 ただこれはその数分間に限った話である。人生はもっと大きなうねりの中にあって、一時的な困難は恐るに足らないということを、我々は身をもってこのあと経験していく。

 酸いも甘いも知らぬ、まだ学生の時分の青すぎる一幕。

 

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~某大会~

 

 天を仰ぐと、悔し涙は頬を伝って口に入った。悔しい思いをしているのだ、なにも味まで塩っ辛い必要などないだろうに。甘ければいいのだ。この世のものとは思えない程に美味しかったり。そうすればバランスがとれる。

 でも、そういう訳にはいかないのは多分この先だってこんな時があるだろうから、二度は繰り返さない様にと。

 渋谷AXは優勝者を讃える拍手と、参加者を労う拍手に満ちている。

 ん、どうも塩っ辛過ぎる。

 

       ◇   ◇   ◇ 

 

 必要事項を記入する。

「SUPER BEAVER」

 vo. 渋谷龍太、

 gt. 柳沢亮太、

 ba. 上杉研太、

 dr. 藤原広明」

 楽曲名「ニセモノ」

 書き込み終わったそれを上から下までゆっくり眺めて、私の表情は満足で緩んだ。もっとも書き込んだのは柳沢であり、私はそれを早く早くと急かす大役を担っていただけであるが。

 衝撃とも言える初ライブから、一年と少し経っていた。柳沢と藤原は高校三年生になり、上杉と私は調理師の専門学校生になっていた。この時、一番楽しかったのは音楽であったが、私のなかで音楽が一番だったのかというとそうではなかった。普通というものすら定義できないくせして、普通とは逸脱したスペシャルになりたい、というアブストラクトな想いもあった私の中で、夢とか、現実とか、そういうものは別の部屋に音楽は住んでいましたとさ。

 この日、スタジオ練習を終えたバンドマンで賑わうロビーは、生産性のない話と建設的な話し合いで、相も変わらず飽和していた。

「リベンジだ」

 一枚の紙を何度も指差し息巻く私を、仕方ないなアという表情で柳沢、上杉、藤原が見ている。

 指差されたそれはエントリー用紙、十代を対象に開催される某大会に参加する為のものである。去年、闇雲に参加した同大会。我々は運と、勢いと、根拠のない自信で奇跡的に勝ち上がり、全国大会のステージに立った。

「私と上杉は来年はもう十代じゃないからね、ラストチャンス。二度目の正直」

 どうどう、と背中を撫でられ、立ち上がった勢いで倒れてしまった椅子を上杉に直してもらう。スタジオ代を綺麗に四人で割り勘して、それぞれの帰路につく。

 夜まであと少し。電車の車窓から見えオレンジ色の景色は、去年のことを思い出している自分には哀愁が強く滲んで見えた。「暖色のくせに」と独りごちた。

 楽器店予選、地方予選、地方大会、ようやくたどり着いたその最後の舞台。その全国大会で声高らかに読み上げられたのは我々とは別のバンド名だった。応援してくれた友達、それでも歓んでくれた両親、生まれて初めて立った大舞台。挫折らしい、初めての挫折。

 今年は、優勝したいな。うっかり一つ行き過ぎた駅に、オレンジ色が一際強く射していた。

 

 目の前の渋谷公会堂に一礼。あっという間に今年の全国大会の会場である。楽器店予選、地方予選、地方大会、中一行で中略できる程簡単なものではなかったし、それぞれにきちんとドラマもあったのだが、全てさらっていると、なかなかのボリュームになってしまうので涙の割愛。

 能動的に動くことを殆どしてこなかった自分が、一年かけて再び臨んだこの大会。たかが十代の大会と言われてしまえばそれまでだし、音楽に順位なんて、と根本的なことから言われてしまえばそれこそ元も子もないのだが。どんな結果であれ、結果が出る度に、思考し、俯瞰し、己を知り、結果が全てじゃないことと、結果が全てであることを学ぶことができたこの大会は、私にとって今でも大きな財産である。

 一年前の塩っ辛いあの味は、二度味わわない為の今日までの明確な指針となってくれた。甘かったり、美味しかったりしていたらやはり、こうはいかなかっただろう。

 睨むくらいに強く見つめる渋谷公会堂は、当時から流行り始めたネーミングライツによりC.C.レモンホールという名称に変わった結果、大きく威厳を欠いていたが、それでも数時間後にここにオンステージできるということは大変に名誉であった。興奮に鼻の穴を膨らませていると、私のポケットが振動した。携帯電話を開くと、画面には〈やまと〉と表示されていた。緑色の通話ボタンを押す。

「あいよ、どした」

「今日頑張れよ」

「お、わざわざありがと。会場わかる?」

「うん、もう着くよ。始まる前に龍太の顔見たいと思ってさ、今どこいんの?」

「渋谷公会堂を睨みつけてるよ」

「なんで?」

「涙の味がもしも甘かった場合のこと考えてたらさ、自ずと」

「え? なに? まアいいや、ちょっと待ってて」

「はいはい」

 携帯電話を閉じる。このパカンっていうときの言い知れぬ快感が、今となってな懐かしい。鳴らし分けた着信メロディ、グループで分けたメールボックス、電池パックカバーの裏に貼った彼女とのプリクラ。はい、脱線。

 やまとというのは、親友と呼べる数少ない地元の友達。彼は去年の全国大会の前夜「明日頑張れよと」という激励と、どら焼きを家まで届けてくれた。どうしてどら焼きなのかと訊くと、特別意味はなくコンビニにのレジ横にあったから、ということだった。

 渋谷公会堂に一礼する少し前、そんなことを思い出した私は験担ぎだと思ってコンビニに出向きどら焼きを購入していた。オンステージ直前に食べて気合いを注入するプランをひっそりと企てていたのだ。

「龍太」

 呼ばれて振り向くと、こちらに向かって歩いてくるやまとが見えた。

「わざわざサンキュー」

「会場でかいじゃん。今年は一番取ってこいよ」

「もちろん、今年こそ、ね。あ、去年さ、やまとどら焼きくれたじゃん?」

「あア、そうだ」やまとはヘラヘラ笑った。「レジ横の和菓子コーナーね。っていうかなんでコンビニのレジ横には和菓子何だろ」

「ん、なんでだろ。垂乳根と母の関係みたいなもんなんじゃん」

「は?」

「なんでもない。だからさっき験担ぎでどら焼き買ってきたんだよ」

 それから少しの時間、他愛もない話をした。開演の時間まであと少しだった。やまとは時間を見て言った。

「じゃア、会場入るわ」

「うん、またあとで。ありがとね」

 固い握手をしたあとで、何だか小っ恥ずかしくなり早足で楽屋へ向かった。

「おい」

 背中から聞こえたやまとの声に振り向くと、なにかが放物線を描いて飛んできた。反射的にキャッチする。

「お、ナイスキャッチ」

「当たり前だ、元ハンドボールキャプテンなめるなよ」

「龍太! 頑張れ!」

 大きく笑って、やまとが手を振った。入場口の人混みに、彼はあっという間に紛れた。私は、なんだよ、と一人こぼして手元を見た。

「あ」

 去年と同じどら焼きが私の手の中にあった。

 

「どうしたの」

「あ、藤原さん」

「俺年下だって。なんで泣いてるの」

「だって、やまとがまたどら焼きくれたんだもん」

「どういうこと」

「うるさい、じじい」

 楽屋は大部屋で、それぞれ出演者ごとにテーブルが割り振られていた。十代独特のピリピリした空気で満たされたこの部屋で、やまとに泣かされた私は浮いていたし、おじさんの藤原も浮いていた。

 この当時の、友達以外の年の近いやつら全員敵だ的な感覚は一体なんなのだろう。今思えばどうにも不器用で愛おしい感覚であるが、実は今でもほんの少し、男の子にはそんな部分が残っていたりする。女の子、覚えておいてね。

 間も無くスタートとなるギリギリのタイミング、緊張と敵視と興奮とでキャパオーバーのこの部屋に給食の時間を彷彿とさせる配膳台のようなものが入ってきた。ピラミッド状に、手のひらサイズの赤い箱が積まれている。配膳台を押してきたイベントスタッフさんが声を上げた。

「こちら、大会から皆さんに差し入れです。どうぞ」

 貰えるものは、なんだってもらう。いの一番に配膳台に向かい、小箱をいくつも抱え込むと、「お一人様、一つでお願いします」と叱られた。渋々一つだけで我慢、口を尖らせて自分たちのテーブルに戻る。上杉が言った。

「なにが入ってんの、それ」

「なんだろね、なんだと思う?」

 私が勿体振ると、藤原が箱を覗き込見ながら言った。

「早く開けてよ」

 私は藤原を睨んだ。

「もっとさ、イベント性を持たせようよ。ワクワクしたいと思わないの? ったく」

 藤原を叱りながらも内心ワクワクしながら箱に手をかける。なにが入っているのだろうか、浦島太郎の心境。そういや浦島太郎の教訓ってなんだろう。亀なんて助けるな、かな。どうでもいいことを考えながら、いざ。

「果たして!」

 箱を開けた。

 どら焼きが、入っていた。

「ぎゃーーーーーー」

 人生で叫ぶ程にビックリすることはそうそうない。目の前で、都合三つになったどら焼きを改めて見て、再び叫んだ私をスタッフが注意した。我々がこの大会で優勝する3時間前の話であり、どら焼きが私の好物になった決定的瞬間でもある。

 

 大会そのものがどうだったのか、その実しっかり覚えていない。それだけ夢中であり一生懸命だったのだ。

 人生で初めて、何かを成し遂げた、と思えた瞬間だった。

 自分が何かをやったその結果で、自分はもちろんのこと、自分のそばにいてくれる人が歓んでくれることはこんなにも嬉しいことなのか、と文部科学省から賞状(大会っぽい)を頂きながら思っていた。

 二十歳に満たない少年たちがこの時得た宝物は、賞状みたいに形のあるものではなくて、もっとあやふやな金ぴかの雲のようなものであった。人生の中で稀に得ることができるその雲みたいなものは、時に誰にも共感してもらえず、時に誰かに馬鹿にされ、時に誰かが青臭いと言って忌み嫌う類のものである。ただ、生きて行くという上で、自分の人生の上で、本来個人で完結する歓びを、個人では完結できない歓びに変えられた時の嬉しさを知った四人が鳴らしている音楽こそ、今のSUPER BEAVERである。

 なにも見えていない四人がなにか見たいと転がりだした、四人だけの、具体的な日にちは覚えていない大事な記念の日のお話。

 

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~初ツアー~

 

 乗り物酔いと私は、毛布とライナスのようにいつも一緒であった。滅法酔った。車、船はもちろんのこと、新幹線ですら大いに酔った。

 乗り物を使わないとどこにも出掛けられないという現実を受け入れたのが物心が付いた時分、すなわち物心がついた時からどこかに行くことを拒む子供であった。ずっと家に、ないし家の近くで生きていたかった子供がそのまま大きくなったのだ。大阪まで車で行きます、なんて耳にしたあかつきには、そりゃアもう卒倒ものであった。

 

 初めての流通盤。全国のレコード屋さんに我々のCDが並ぶことが決定したのは、二十歳そこいらだったかと。

 前記した通り、我々は大会に出場し大賞を頂くことができた。そこからは青田買いの、いわゆる”オトナ”の方々が観に来てくれるようになり、CDを出してみましょうと具体的なお話を生意気にも幾つか頂いていたわけだ。その中で我々が、それじゃア、と手を握ったのは某メジャーレーベルの方であった。

 ただ我々は自主製作の拙い盤は作ったことはあったが、お店にしっかりと置いていただけるようなCDを作ったことがなかった。なのでいきなりメジャーデビューではなく、まずは会社お抱えのもと、インディーズで全国流通盤を出してみましょうということになったのだった。

 もちろん飛び上がるほど嬉しい話であり、音楽家冥利につきるゼ、と思っていたのだが、この時の私は盤を出すということとツアーを回るということが、イコールで繋がっていなかった。盤を出すこととツアーはイコールで繋がらなかったが、ツアーと乗り物はイコールで繋がっていたため、ツアー回ります宣告を受けた時、私は足が震えるほどショックを受けたのであった。

 足が震えた理由はなにも乗り物酔いだけではなく、私が極度のホームシッカー(造語)であることも関係していた。林間学校を適当な理由で休み、中学校、高校の修学旅行もワクワクよりもおうちを離れることの不安が勝った私である、その片鱗が当時になっても根強く残っていたのは言うまでもない。

 宣告を受けた時私以外のメンバーはどうだったのかというと、柳沢は嬉々としており、上杉はやったりますかとドンと構え、藤原はおじさんであった。なんの不安もなさそうなメンバーを見て、こんな人たちをこの先うまくやれるだろうか、と逆に不安になったのを鮮明に覚えている。

 

 メンバーによる度重なるカウンセリングと、数日に渡る説得と励ましも虚しく、頑なに首を横に振り続ける私を無視してツアーは着々と準備されていく。初日がすでに翌日に迫ったよく晴れた日、私はメンバーに引き摺られるようにして事務所を訪れた。

 なぜ事務所に呼ばれたのか見当もつかなかった。健康診断の結果、血液から乗り物アレルギーと外泊アレルギーが強く出た為、ツアーを断念しなければならなくなったのかも、と期待してみたが、ここ最近健康診断を受けていなかったことにうっかり気が付いてしまって絶望した。出していただいたコーヒーにも全く手をつけず、突っ伏して現実逃避を始めた私の前に、その人は現れた。

「だいじょんだよ、そんあしんぱしなくってエ」

 顔を上げるとそこには、寝起きヘアーにメガネ、原色のTシャツ上に白いシャツを羽織り、ジーンズが太もも中腹あたりまでグデッとずり下がった男が立っていた。

 一旦困惑。メンバーと顔を見合わせ事態を確認。置かれている状況に対応出来ていないのは私だけではない模様。一度慎重に探りを入れる。

「あの」

「あっあっあっあっ」

「え」

「しーびゃ」

 愛嬌と、得体の知れぬ感じがうまく混ざり合っているようで全く同居できていないキャラクターのようなこの男がSUPER BEAVER に一番最初についてくれたマネージャーの郷野さんという男であった。今後かなり長い付き合いになる彼の発する言葉は、共に過ごしていくうちに徐々に理解ができるようになるのだが、初対面であった我々には「だいじょんだよ、そんあしんぱしなくってエ」が「大丈夫だよ、そんな心配しなくて」だったなんてわからなかったし、「しーびゃ」が私のことを指しているなんて微塵にも思わなかった。

「うわ、え、なに」

 急な落雷、洗面所で何かが落ちる音、不測の事態がもたらす恐怖。このキャラクターの様な男の出現も、それと同じだった。

 この後、それまでなにをしていたのか知らないが、ようやく面識のある事務所の方が登場し、目の前の郷野さんがこれから我々のマネージメントをしてくれるとの旨説明をしてくれた。要するに明日から始まるツアーも一緒ということになる。

 キャラクター性も、滑舌も、許容できる範囲は優にオーバーしていたが、とにかく我々は郷野さんに頭を下げた。

「よろしくお願いします」

「あっあっあっあっ」

「え、あ、はい」

 なんなのだろうこの人は。乗り物酔いの不安、外泊の不安、それを凌駕する極上の不安に襲われるとは。ただ今回の不安はメンバー四人に共通するものであった。

「いろいはしめって、たいんかもしーないけろ、あしたからよおしくね」

 前半部分はまるで理解できなかったが、最後はおそらく「明日からよろしくね」だったと思う。我々は「よろしくお願いします」と返した。

 丸腰で外国に放り込まれたら、おそらくきっと同じ気持ちになるのではないだろうか。もやもやする我々を尻目に、郷野さんは事務所の人と関係のない話しを始めた。

「あっあっあっあっ」

 ちなみにこれは、彼が楽しいときに立てる声である。笑っている、とも言う。

 

 あっという間に朝が来た。本日から始まるライブが20本ある初ツアー。今となっては当たり前以下の本数であるが、当時の我々にとってはかなりの数であった。

「んあ、ずいぶう、おおきあにもっだえ、あっあっあっあっ」

 集合場所で車を用意して待っていてくれた郷野さんが、私の荷物を見て何か言った。荷物に関して言われることと言ったらなんだろう。私は慎重に応えた。

「はい、新しいカバンです」

 郷野さんが眉と眉の間隔をぐっと狭めた。間違えたようだ。ワンモアトライ。

「何かと心配で、いろいろ詰めて来ちゃいました」

 郷野さんが頷いて、運転席の扉を開けたて乗り込んだ。私は小さくガッツポーズをした。

 乗り物に酔うならば見晴らしの良い助手席が一番だろうということになり、助手席に座らせてもらった。結果的に見晴らしは別段関係なく、ツアーの移動の中の全て、推理と推測を要する郷野さんとの会話に集中できたおかげで、生まれてこの方ずっと苦しめられていた乗り物酔いをいともたやすく克服することができたのだから郷野さんは凄い。

 

 そんなこんなで始まった初めてのツアー。我々はトラベリングバンドに、おっかなびっくり片足を突っ込めたわけである。期待と不安と郷野さんを乗せて、レンタカーSUPER BEAVER号は走り始めた。       

 初めての土地と、初めての経験。大いなる刺激に満ちたツアーであった。そもそもライブ経験に乏しい我々が、未踏の土地の、当時はまだ名前も聞いたこともなかったライブハウスにオンステージするわけである。武者修行と言うには人、時間、金銭面、移動、全てにおいて恵まれ過ぎていた環境ではあったが、当時の我々にとってはそう言っても差し支えはない経験だった。

 数年後、本当に4人だけでDIYでツアーをする時がやってくるのだが、その時になってみてこのツアーがいかに恵まれていたかを痛感するに至る。

 

 で、そんなこんなありまして。ツアーもいよいよ最終日。

「何飲んでんすか郷野さん」

「ふにゅーる」

「フルーニュでしょ、今流行ってるやつね、桃のやつだ?」

「こえ、おいいい」

「ヘエ、今度飲んでみます」

「んあ。あて、つアーもそーそんおしゃいだえ。はしめっのつアーおうだった?」

「そうですね。初めはどうなることかと思ったんですけど、凄く楽しかったです」

「そかア、しーびゃもすっかいのりももえーきになったえ」

「はい、お陰様でって感じです、ご心配お掛けしました」

 もう、郷野さんとの会話なら任せろ。機材を下ろし終えた青空駐車場で胸を張る。

 ツアー最後のステージを数時間後に控え、ホームシックになる暇など微塵もなかった日々がドラマのようによぎった途端、エモーショナルになった。一足早く溢れ出しそうになる達成感と一抹の寂しさに、なんとも形容しがたい感覚になった私は、一切憂鬱を含有しない健康的なため息を吐いた。

 郷野さんを含むメンバーと築き上げた妙に擽ったい一体感の様なもののせいで、まだ帰りたくないなア、なんて気持ちになっていた。出発前の私には、にわかに信じ難い精神状態である。

 最後のステージも、ただ前のめりに。

 このツアーで得たものは何か。正直具体的に言えるものなんてほぼ無い。が、具体的に言えない類の幾つかは大事に持って帰った。久々に寝るうちの布団、誰にも取られぬ様に、それを抱いて寝た。

 

 眠たい目をこすり事務所。無事ツアー終わりまして翌日。

 扉が開いて入ってきたのは郷野さん、我々の「おはようございます」を無視してホワイトボードに一直線。黙々と何やら書きまくっている。

「郷野さん、字が汚いです」

「んあ」

「何書いてるんですか」

「つアーすけゆーる」

「ツアースケジュールね。誰のですか」

 ホワイトボードに40本のライブがずらっと書き出された。昨日まで回っていたツアーの倍の本数である、さぞ大変だろうなアと、フレッシュな経験な基づいて思っていた。書ききってご満悦のご様子の郷野さんに、再び訊ねた。

「ねエ、誰のツアースケジュールですか」

「きみたちの」

 郷野さんの冗談はあまり面白くない、というのも一緒にツアーを回って学んだことの一つだ。

「はいはい」

「あっあっあっあっ」笑うだけ笑って黙ってしまった郷野さんは、その次の言葉を待つ我々に気がついて言った。「きみたちのらよ」

「何言ってんすか? だってこれ来月からのスケジュールじゃないですか」

「うん」

 それっきり黙ってしまった郷野さんのその次を待ったが、郷野さんは黙ったままだった。

「マジで?」

「んあ、まじえ」

 初のツアーを無事に終えたばかりの我々は、こうして間髪入れずに次のツアーを回ることになった。

「あたあしいつアーも、よおしくね」

 嬉しそうにしたり、ドンと構えたり、おじさんだったり、卒倒したりする四人を郷野さんは見ていた。

「あっあっあっあっ」

 次週に続く。